歴史と展望

リーン製品開発の歴史、現状と展望

黎明期:陸軍上がりの学者が日本で発見したこと

アラン・ウォードの経歴はかなりめずらしいものでしょう。オレゴン大学で歴史を専攻した後米陸軍に入隊。当時の米陸軍はベトナム戦争のトラウマからようやく立ち直りつつある時でした。アレンはレインジャーという特殊部隊に配属され、多くの訓練を受けました。除隊後彼は妻(日本人でフォードのエンジニアだった)の勧めでMITの博士課程に学び、機械を自動的に設計するデザインオートメーションソフトウェアを開発するなかでセットベース設計という手法を開拓しましたた。(1989年に博士等が学会で発表した論文 http://ijcai.org/Past%20Proceedings/IJCAI-89-VOL-2/PDF/096.pdf )

1990年代初めにウォード博士はミシガン大学助教授に就任し、機械の設計講座を教えました。当時たまたまミシガン大学は日本の自動車産業研究のメッカで、全米から研究者が集まっていました。彼はジェフリー・ライカ−教授(ミシガン大学工学部IE学科教授でその後世界的ベストセラーになったザ・トヨタウェイの著者)と知り合い、一緒に日本の自動車メーカーの開発方法の調査に行きました。トヨタの開発部門を訪れた際に彼は驚きました。博士課程で研究していたセットベース設計をトヨタは実践していたからです。その他にもトヨタから学ぶことが非常に多くありました。

アメリカに帰国後ウォード博士はライカー教授の研究室で博士課程を学んでいたデュワード・ソベックを日本に長期滞在させてトヨタの製品開発を詳細に研究する事に成功しました。デュワードは名古屋大学の研究生として日本に滞在し、トヨタやそのサプライヤーの関係者のヒヤリングをする毎日が続きました。トヨタが製品開発という最も機密性の高いプロセスに門戸を開いたのは極めてめずらしいですが、当時は日米貿易摩擦の余韻がまだ残っていた時代だったからでしょう。トヨタはアメリカの研究者なら何でもオープンにしようという姿勢だったのではないでしょうか。

しばらくするとウォード博士は大学を辞めて自分の会社を立ち上げてリーン製品開発のコンサルティングを始めました。GMの部品の子会社のデルファイ、ヒューレット・パッカードや北欧の企業が博士の指導の下にリーン製品開発を導入しました。

このようにリーン製品開発はウォード博士のリーダーシップで2000年以降順調に欧米企業の間に広まるかと思われました。コンサルティングの仕事が増えた博士は、昔からの夢だった自家用飛行機を購入し、自ら操縦桿をとりクライアントの元に飛ぶようになりました。しかしこれが裏目に出て、2004年に博士が操縦していた自家用機が雷雨によって墜落し、博士等は死亡したのです。

AlWard

アラン・ウォード

 

過去:普及が遅れたリーン製品開発

これでリーン製品開発運動の勢いは低下しました。ただし幸いなことに博士が書いていた本の原稿が見つかったのです。この原稿を元に2007年にLean Product and Process Developmentという本が出版されました。この初版をソベック博士が大幅に拡充した第二版が2014年に出版され、この日本語翻訳がリーン製品開 発方式(日刊工業新聞社)として出版されました。

リーン製品開発はトヨタの製品開発のやり方をアレン・ウォード博士等を中心とする研究者が体系化されて、欧米企業の間に広がりました。しかしその広がり方はリーン生産に比べて桁違いに遅かったのです。それには次のような理由があると思われます。

  • トヨタの工場に行けば一目で見えるリーン製品開発とは違い、トヨタの製品開発のやり方は部外者には見えない。
  • リー ン製品開発のセットベース思考は考え方としては分かりやすいが、実際の導入方法が非常に分かりにくい、このため欧米でのリーン製品開発の導入の大部分が 「リズムと流れ」作りというリーン生産の原則を製品開発に導入するという活動に限定されていた。セットベース思考で大きな成果を出した事例はほとんど数社 しか発表されていない。
  • 製品開発部門は高度が専門知識を持ったプロ集団であるため、改善や改革に対する抵抗が強い

現在:広がりが加速化しつつあります

グローバリングの稲垣は2011年以来、アメリカヨーロッパでそれぞれ年に一回開催されているリーン製品開発に関する国際会議であるLean Product and Process Developmentにほぼ毎回出席しています。この会議での発表の内容の大半が目で見る管理や小ロット処理による改善というリーン生産原則を開発に応用したものでありセットベース開発に関する発表は皆無に近いという状況が続いています。しかしながらハーレーダビッドソンやPingは2000年代はじめにセットベース思考を導入して開発生産性を4倍にしました。現在セットベース思考を導入して成果を出している企業はいくつかありますが、大会に出て発表した企業はほとんどないというのが現状です。それでも2013年あたりからセットベース思考普及がようやく加速化していると感じています。現在ボトルネックになっているのはセットベース思考を真に理解しているコンサルタントの数が限定されていることです。しかしセットベース思考の教祖であるアレン・ウォードの直弟子のマイケル・ケネディーが創立したTargetd Convergence Corpが開発したSet Based Thinking Toolsというソフトウェアにより、セットベース思考の実践が容易になり、導入のハードルが下がりつつあります。

将来の展望:構想設計革新

リーン製品開発の中でもセットベース思考が難関である理由の一つはそれが構想設計段階を中心とした手法であるためです。構想設計段階とは曖昧模糊とした段階で、一体何が行われているのかあまり分かっていません。実際にはこの期間こそがベテラン設計者の脳がフル回転している(またはしているべき)時期なのですが、その頭の中で何が起きているかが解明できていないのです。セットベース思考とは実はベテラン設計者やスーパーエンジニアと呼ばれる人たちが頭の中で行っているプロセスの一部を外出ししたものだと思います。その意味ではリーン製品開発、とりわけセットベース思考は他の領域から出た発想や手法も取り込んで、いわば「構想設計革新」へと進化すべきというのが私の個人的な考え方です。